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弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

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ネット上の名誉毀損と表現の自由(2)~判決の論理過程について

昨日採り上げた東京地判平成20年2月29日ですが,判決の論理過程に関する考察について,若干の補足をしたいと思います。

同判決は,「故意」を阻却して被告人を無罪としました。すなわち,被告人において相当性の証明が成功していないことを認定しながら,被害者側の誘発的言動とネット上の表現行為の特性故に調査義務の程度を軽減して「故意」を阻却しました。この論理には私は疑問を持っていることは,昨日記載した通りです。

判示によれば,相当性の証明よりもハードルの低い調査義務をクリアすればよいこととされています。議論の出発点が真実性の証明の規定(刑法第230条の2)にあることは確かなようですから,果たして相当性の証明よりも調査義務を軽減する論理展開があり得るのかを,まずは相当性の証明の法的位置付けに遡って考えてみたいと思います。

この点,真実性の錯誤の場面(真実性の証明ができると思っていたが,結果的にできなかったという場面)における相当性の証明(確実な資料・根拠を入手した結果として,虚偽の内容の表現行為を行ったという証明)をもって,どのように法的に位置づけるかについては諸説が入り乱れておりますが,近時の有力説としては概ね次のようなものがあります。すなわち,

(1) 確実な資料・根拠に基づく言論は刑法35条にいう正当行為として違法性を阻却するとし,刑法第230条の2の規定は相当な根拠に基づかない言論であっても真実性の立証に成功した場合には処罰を阻却する趣旨と解する見解(処罰阻却事由説+正当行為説)

(2) 事実が証明可能な程度に真実であったことが違法性阻却事由であるとし,証明可能な程度の資料・根拠をもって真実と誤信したときは,違法性阻却事由に関する前提事実に関する錯誤として故意を阻却するとする見解(違法性阻却事由説+違法性の錯誤)

(3) 摘示した事実が真実であったことが違法性を阻却するものとし,刑法第230条の2は,軽率に事実を真実と誤信した行為者の過失名誉毀損をも処罰するための特則と位置付ける見解(違法性阻却事由説+過失犯説)

などの見解が挙げられます(西田典之教授著「刑法各論」(弘文堂)P110~2参照)。

本件では,被害者側の誘発的言動とネット上の表現行為の特性を根拠に行為者側の調査義務を軽減する訳ですが,上記見解のうち(2)説では,事実それ自体の真実性を正面から考察することになるため,被害者側の事情を考慮して調査義務のバランスを取ることにやや無理があるように思います。事実が証明可能な程度に真実かどうかは,一定レベルの真実性のハードルとして存在するはずですで,被害者側の事情や行為の場面によりハードルを上下させることは難しいと思われる訳です。

これに対して,(1)説では,正当行為性の問題として考察することから,目的の正当性,手段の相当性,行為の場面や特徴,被害者側の事情,加害者側の事情等を総合衡量することになじみやすいでしょう。同様のことは(3)説でもいえます。同説では,名誉毀損の度合い,行為者の職業や能力に応じて一定の情報収集義務が課されていると解されており(西田教授前掲P112),被害者側の事情や表現行為の場面によって加害者側の調査義務のバランスを取ることが比較的容易なように思えます。

ただ,(1)説又は(3)説のいずれの立場によるにせよ,一定の調査を尽くしたことを理由に阻却されるものは「故意」ではないことは間違いありません。なぜなら,(1)説では,正当行為として違法性が阻却されることになりますし,他方(3)説では,調査義務を尽くしたことをもって過失なしとする結論,すなわち,過失犯における構成要件該当性あるいは責任過失を阻却することになるものと思われるからです。

これらの点で,上記判決が「故意」を阻却した点の論理過程には疑問を呈さざるを得ません。判示のような「故意」阻却は,解釈の限界を超えた立法と呼ぶべきものではないかと思う次第です。


弁護士田島正広  http://www.tajima-law.jp/

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