弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

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秘密保護法制定, 緊急武器輸出,集団的自衛権行使容認の流れに観る歯止めの意義

秘密保護法が制定されるに当たって,国会審議終盤になって与党と一部野党との協議で第三者機関「的」機関なるものが取り沙汰され,その内容の十分な具体化とそのための国会審議を経ることなく参議院の採決に至ったのは記憶に新しいところです。

私は,特に国家の外交安全保障の場面において秘密保護の必要性そのものを否定するつもりはありません。ただし,秘密保護の美名の下に,政治家フリーハンドで国民的監視をすり抜けることのできる仕組みができ上がることについては最大懸念するものです。その意味で,国会審議の過程で秘密の定義が限定されたことは歓迎しつつも,特定秘密該当性の判断が立法府側に留保され,そのためのルール設定を行う第三者機関「的」機関なるものも,結局は立法府から切り離された第三者機関ではなく,どこまで中立・公明正大であり得るかについては甚だ疑わしいと言わざるを得ないことから,懸念は増すばかりと言うほかないのです。

その後,国連の緊急の要請の下に例外的な武器輸出の実施がなされたことがありました。しかし,国連の緊急の要請なら例外を認めるというルールはどこにあるのでしょうか。例外が限りなく緩くなるのであれば,もはや武器輸出禁止を原則として掲げること自体無意味となります。

この点,私は,国家権力をしっかりと拘束することのできる規範力のある憲法改正によって,軍隊の保持とその行使方法を憲法で定めることを前提として,武器輸出を実施することには賛成する者です。すなわち,武器輸出と一言で言っても,輸出対象となる武器の中身は多種多様に渡りますが,日本の高い技術力を駆使した武器を,日本が安全保障上パートナーとなり得る友好国に対して輸出することで,将来的にもその什器備品類の供給が約束された状況は日本の安全をより強固にすると確信しますし,そのような相手にのみ,しかも輸出する武器を国際状況,相手国の政策等から限定することによって,日本が死の商人となることなく,むしろ平和の商人となることが十分可能と考えています。同時に武器輸出によってその生産コストを下げることで,日本の国際競争力の基盤を高め,ひいては安全保障の実を高めることにもなると考えています。

しかし,そこで最重要課題であるはずの武器輸出に関するルール設定が,政治家フリーハンドであっては,死の商人にならない保証はどこにもありません。法律でルールを定めるといっても,衆議院が小選挙区制を中心としている現在,その3分の2を確保する与党が存在することはむしろ通常想定可能と言っても過言ではなく,そうであれば,結局時の政権によっていかようにも変えられるルールにしかならないと私は思います。その意味で,改正に一定程度のハードル感のある硬性憲法の下で憲法マターとすることは,「歯止め」としても理念のある武器輸出を実現する上でも極めて重要な意味を持つと思います。

そして,今また集団的自衛権に関する憲法解釈変更によって,憲法の「歯止め」がなくされようとしています。私は前述の通り,安全保障に関してそもそも改憲論者であり,憲法がしっかりと規範力を持って国家権力を拘束できる状況下で軍隊を保有し,国会の事前又は事後承認の下での海外派遣を憲法で容認すべきとの論者です。しかし,憲法解釈を変更し,集団的自衛権の問題を憲法マターとはせず,法律マターに落とすことによって,時の政権の判断次第でいかようにも法改正して,同盟国の戦争に我が国は世界のどこにおいてもお付き合いできるようになります。いや,それが我が国の個別判断に委ねられるならまだよいのですが,憲法解釈が変更されて集団的自衛権行使が憲法上フリーとなれば,米国が日米安保条約の双方化を求めてくることはむしろ自然の流れではないでしょうか。いったんその双方化が実現されれば,以後の外圧は言うを待たないでしょう。憲法と条約のどちらが優先するのかという論争は,集団的自衛権行使容認という憲法解釈変更によってクリアされてしまうことになりますから,条約で日本が約束した事項を法律化しないことは国内法上も正当化の余地がなく,国際社会の批判は免れないことでしょう。おそらくは,我が国の周辺領域への自衛隊派遣を念頭に置くとの説明の下で,歯止めの緩い法律が制定され,時の外圧次第でどこへでも自衛隊を派遣することになるのではないでしょうか。それが本当に我が国の国益にかなうのか,私には甚だ疑問です。この国は,明治期以降の帝国主義の時代に遅れて参入した時期を除けば,基本的には地勢的に辺境の地にあったことも幸いして,和をもって尊しとなすとの国是を持つことの出来た国です。その伝統を放棄してでも,世界の警察の一翼を担いたいということなのでしょうか。

翻って歴史を紐解くとき,満州事変において佐官クラスが実力行使を先行させることで既成事実を作って軍部を主導し,以後も同様の流れの中で日中戦争が拡大していった経緯がありました。当初は満州事変を主導した側だった石原莞爾が,その後陸軍中央側から不拡大を現場に説得しても,現場は満州事変を引き合いに出す始末であり,結局自らの既成事実がまさに次の既成事実を作る流れを止めることができなかったことは歴史的事実です。満州事変は,関東大震災,世界恐慌,世界のブロック経済化等による長きに渡る不況の中で,植民地を持たざる当時の日本が生命線を見出すためのものとして,国民が熱望し,マスコミも結果的にはこぞって賛同し,もはや何らの「歯止め」もない時代に突入する契機となったものです。当時の日本は,大正デモクラシーを経験した後の時代であり,男子普通選挙が行われていた時代だったにもかかわらず,このような流れに至ったのです。

これと今の時代とを比較するとき,私は決して楽観視できないのです。ある論者はアラブの春を観ても分かるように,ネットの表現の自由は革命を起こすパワーを持っているのだから,「歯止め」など気にせずとも問題はないかに言います。しかし,何らか不祥事を起こした人物や団体に対する正義の勘違いともいうべきネットでの徹底的な攻撃的傾向は,自由なる表現の基盤に対する懸念としては十分と私は思います。太平洋戦争終盤の特攻に対して,敢然と批判的論陣を張ること等一体誰に出来たというのでしょうか。現代においても,いったん論調がナショナリズムで動き始めた時,それを単に自由なる言論によって衡平化することは,非常に難しいと思います。その際,本来重要な役割を果たすのは,マスコミの冷静かつ批判的な視点でしょう。しかし,近時では,NHKの新会長が,「国が右というものを左といえる訳がない」等と公言してはばからない状況があります。マスコミが国策の代弁者となれば,そこに待っているのは万歳報道です。満州事変の当時を彷彿しない訳にはいかない次第です。

こうして概観する時,私は今こそ「歯止め」の意義をしっかりと理解し実践することが重要と考えます。そして,「歯止め」の最たるものとして存在する憲法を空洞化させることなく,むしろ既に空洞化しつつある憲法9条の規範力を再び高めるための,より実効的かつ「歯止め」となり得る憲法改正を真剣に議論すべき時にあると思います。その際の最重要キーワードは「立憲主義」であると確信しています。
                                                 
弁護士 田島正広

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