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弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

フォーラム“いま考える平和の意味とこの国のあり方”の感想

 先週末8月20日(金)夜,社団法人東京青年会議所(東京JC)千代田区委員会主催フォーラム「いま考える平和の意味とこの国のあり方~なぜアメリカ?なぜ沖縄?」に聴衆として参加して来ました。JCとは40歳で卒業の団体ですが,私も東京JCのOBであり,現役時代の2004年には主催者である千代田区委員会の委員長を務めさせて頂いたばかりではなく,その当時取り組んだ課題が安全保障と憲法,さらには民主制のあり方だったこともあって,今回のフォーラムには格別の思いを持って参加しました。

 主催者からの日本の防衛・安保問題に関する簡潔な紹介の後,基調講演は長島昭久先生(民主党・衆議院議員),石破茂先生(自由民主党・衆議院議員)の両氏。休憩を挟んで,日本JC沖縄地区協議会会長の上原義信氏と学生団体RING代表の牧野傑氏を交えてパネルディスカッションが行われました。ファシリテーターは私と同じく弁護士で,弁護士会の活動でも接点のある池田浩一郎氏。

 会場は8割方埋まり,また,牧野氏からの問題提起と上原氏の沖縄における冷静な現状認識を踏まえつつ,おそらくは主催者側が想定した視点が講師の先生方によって概ね示されていたと思われるので,フォーラムとしては成功と言ってよいと思います。まずは主催者側の皆さん,ご準備本当にお疲れさまでした。また,講師の先生方初めご来場の皆様には,OBとして,改めて御礼申し上げたいと思います。

 さて,基調講演とパネルにおいては,講師の先生方から示された興味深い視点の数々について,主催者側は参加者各人に自ら考えてもらおうとの趣旨からか,これらを総括しなかったので,あえて一参加者の視点から自分なりの理解の下に総括してみたいと思います。


1 沖縄基地問題と日米安保条約

 両先生方の基本的なスタンスは皆さんよくご存知と思いますので,あえて触れませんが,お二人に共通しているのは,現実のパワーバランスをベースとした安全保障の考え方と集団的自衛権の行使容認の必要性でした。これに対して,あえて違いを求めれば,インド洋補給活動の継続の是非につき,民主党がこれを終了させた点を石破先生が批判された点でしょうか。

 また,沖縄の基地問題については,日米安保条約がアメリカに片務的に日本施政下の領域の防衛義務を負わせる一方で,日本は国内の施設及び区域のアメリカによる使用を容認している点が問題の根本であり,かつ東アジアの地政学的な位置関係から沖縄に基地を設けざるを得ない現状がお二人から語られました。攻撃的な兵力である海兵隊を持たない我が国が,広範囲に島々の点在する南西諸島を防衛するにはアメリカの海兵隊が不可欠であるため,アメリカの海兵隊及びヘリ部隊の基地を沖縄に配置せざるを得ない実情が語られました。

 このことは裏を返せば,我が国が堂々と海兵隊のような攻撃的兵力を持ち,また集団的自衛権の行使を容認して双務的な防衛義務をアメリカと共同すれば,アメリカ軍の沖縄駐屯の規模を縮小することも視野に入れることが可能となることを意味します。なるほど,沖縄の基地問題については一つの解決策を提示することになるのでしょうが,しかし,現実論をバックに端的に集団的自衛権の行使を容認するべきとの結論に至るのであれば,満州事変のように軍事力の暴走という負の歴史を持つ我が国において,違和感も残るところとなります。


2 民主的コントロールの視点と立憲主義

この点,長島先生が民主的コントロールの視点を提示され,自衛隊海外派遣において国会の事前承認を要件とするべきとの意見を示されたことは一つの明確な回答となっていました。ただ,国会内の議論においてすら,恒久法を作ってその際国会承認を経れば,もはや以後は個別承認は不要との考え方が登場する程ですので,議論のポイントは,いかに実効的な民主的コントロールを実現できるかにあるように思います。この時,この発想の根本にあるべきなのは立憲主義による国家権力拘束の視点ではないでしょうか(この点は根本的な理念に関する部分ですので,議論を尽くしてほしいところでした)。

 すなわち,形だけ国会承認の外形を求めたいというのであれば,それは民主的コントロールを極力忌避しようという発想に繋がります。それは国家権力の暴走をいかにして食い止めるかというよりは,面倒な国民的批判を極力回避して権力をフリーハンドにしようという発想によるものでしょう。これに対して,近代憲法における重要な機能の一つである国家権力拘束の視点とは,主権者国民の人権,そしてその総体としての国民益をベースとする国益を守るために,国家権力の行使に幾重にも歯止めをかけ,その暴走を許さないという視点です。この立憲主義的発想を顕著に意識するとき,憲法を解釈で骨抜きにしたり,国家権力拘束のための手段である代表民主制によるコントロールを簡略にしようという発想は出て来る余地がないはずなのです。

 こことの関連で石破先生からのご指摘は興味深くお聴きしました。石破先生は,ご自身が当時の防衛庁長官在任中,その退任近くになって初めて猪瀬直樹氏著「日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦」を読まれたとのことです。この本は(私は未読のため石破氏の言葉を借りると),昭和16年夏に霞が関の優秀な官僚達を「総力戦研究所」にひそかに集めて行われた徹底的なシミュレーションにより,日本が米国と開戦したら必ずや敗戦するとの結果を得ていたにもかかわらず,報告を受けた東條陸相(おそらくまだ首相になる前のことと思いますが)は「戦争には偶然的要素が伴うもの。それを踏まえないシミュレーションには意味がない。」として意に介さなかったとか。石破先生は長官である自身ですらこうした経緯を知らなかったことをお認めになられる一方で,軍事の実態を把握していない政治家や政治のあり方に対する警鐘とされるご趣旨のようでした。なるほど,確かに「敵を知り,己を知れば,百戦して危うからず」は真理だと思います。当時の権力者がこれを実践できていれば,その後の悲劇も阻止できていたのかも知れません。政治家としてこれを戒めとされる姿勢は真摯なものと感じます。ですが,それは「人」にスポットを当てるだけでは遺憾ながら期待と失望を言うに留まり,その後の戦争を回避できなかった点の検証としては不十分なように思えます(石破先生もその点だけの議論を望まれるご趣旨ではないことでしょう)。むしろ国家体制としてその実践を可能ならしめる体制が存在していなかった点にこそ問題の本質があるのではないかと私は考えています(注1)。

 この点,当時の明治憲法は天皇主権の憲法であり,権力濫用に対する歯止めと言う視点は制度的には導入されてはいません。ただ,この憲法体制下においては歴史的には長州閥を中心とした軍閥政治が行われる中,山縣有朋や松方正義等の元老が権勢を保持し,政治に対する一つの歯止めとして機能していた訳で,私はこれは「人の支配」の一例と考えています。なるほど,権力拘束という現実的な機能が得られた明治時代はよかった訳ですが,大正デモクラシーを経て,昭和の時代ともなると,元老による歯止めは機能を失い,軍部の暴走はもはや止めることができないところとなります。「人の支配」は多分に属人的要素に基づくものであり,それ故に長期間安定的に継続することが難しい脆弱なものです(人の一生には限度があります)。システムとして権力を抑止できるのは「法の支配」であり,権力者が容易には乗り越えることのできないハードルを課すことのできる,より高次の法をもってその濫用への歯止めとすることこそが必要である所以です。そのための第一次的装置が拘束規範的な機能を持つ憲法であり,そして国民自身による権力濫用抑止手段が代表民主制となる訳です。


3 民主制不審の視点

 もとより,代表民主制がそれ自体万能かと言えば,そうではないことは誰もがご理解頂けることでしょう。例えば,ナチスドイツのヒトラー政権は,民主制の過程で正当に誕生したものでした。政権誕生後の独裁化を阻止する手段を持ち得なかったことが当時のドイツの憲法体制上の欠陥だったというべきでしょう。世論を煽り,一時の民意の名の下に支持を受けた国家権力が暴走することに対して,代表民主制それ自体は時に無力であり,これをよく阻止できるのは法の支配を具現化する立憲主義憲法体制,すなわち,改正困難な硬性憲法により国家権力の行使の限界を明定した憲法体制でしかないと思います。

 ところで,ドイツにおいては,現在徴兵制が採られています。この点について石破先生は,第一次大戦後軍が解体され,徴兵制のない時代にナチスが台頭した点を踏まえ,ドイツでは戦後主権者国民自らによる軍隊を再構築したとの点を指摘されました。良心的兵役拒否はあれども社会貢献の義務が課せられることにより,主権者としての意識を植え付け,民主制における能動的な役割を期待し,ひいて再び独裁政権を生むことがないようにした,というニュアンスの文脈ではないかと理解しました。

 この点,歴史認識として,ヴェルサイユ体制下のドイツに徴兵制がなかったことが,国民の政治に対する参加意識を逓減させ,民主制における能動的な役割を十分に果たさせない結果,ナチスの暴走を止められなかったのかどうかについては,ここでは留保しておきたいと思いますが,少なくともナチス政権を自らの民主制が生み出した点での民主制不審の視点が戦後のドイツには存在し,それ故にこそ,その後ドイツでは民主制の実効化に向けた取り組みが顕著に観られるという点については私も賛同できるところです。思えば,民主制実効化の仕組みとしての市民討議会的な発想が芽生えたのはドイツでした。すなわち,代表民主制を原則としながらも,無作為に抽出された市民の討議を様々に経ることでその意見の収斂を期待し,その討議結果を民主的過程において参考意見として尊重していく発想がそれですが,この仕組みが民主制不審の視点を持つドイツで誕生したのは,むしろ当然のことだったのではないかと私は考えています。(注2)

 この点で,果たして我が国は先の大戦に至る時代を十分に克服できているのか,私には疑問です。太平洋戦争とそれに先立つ日中戦争は,日本の満州進出を皮切りとするものですが,世界大恐慌下で植民地を持つ諸国家がブロック経済を推進して市場を閉鎖する中,遅れてきた帝国主義国日本は満州に生命線を拓くしか道がないとの論調は,国民的期待の下で軍部の暴走を煽り,結果として国民の喝采を受けるに至りました。政治はもはや軍部をコントロールすることがかなわず,5.15事件,2.26事件とテロ事件が続く中,民主制不全は顕著となっていきました。

 これに対して,極東軍事裁判では,満州事変は板垣征四郎元陸相以下数名のA級戦犯だけの責任として処理された訳ですが,結果として日本国民は戦争の被害者に擬せられ,この時代の民主制不全の責任を自覚することがなかったように思います。本当は,民主制が健全に機能しなかったことを国民自らが反省し,その改善策を考えなければならなかったのに,それを真剣に議論することがなかったように思えるのです。政府や政治家が憲法9条を平気で空洞化してきたのも,民主制不審の視点に欠け,ひいては憲法による国家権力の拘束がなぜ必要なのかの視点を意識していなかったことがその最たる理由のように思えてなりません。


4 問題解決に向けて

 集団的自衛権を憲法改正により,又は憲法解釈の変更により容認するとなれば(注3),日米安保条約の改定の仕方にもよりますが,日本はおそらくアジア太平洋地域においてアメリカの自衛戦争を共に行う義務を負うことになります。アフガン戦争は,9.11テロを根拠とする自衛戦争として行われたものですから,その当時に改憲がなされておれば,これも当然にその対象となったことでしょう。いや,歴史を振り返れば戦争とは多く自衛戦争の名の下に行われて来ました。それこそ,太平洋戦争の開戦経緯においても,帝国の自存自衛のため,すなわち自衛戦争であることが宣戦の詔勅に明記されている訳です。なるほど,集団的安全保障体制の確立した現代において,個別自衛権の行使だけで安全保障を達成するのは困難であり,集団的自衛権の行使が有益であることは当然でしょう。しかし,「当然だから容認する」,「容認したから戦争する」という単純な発想に立ってしまっては,どこまで戦争を行うことになるのか分からないことにもなりかねません。それを為政者が決めるというのであれば,権力者フリーハンドを容認することとなり,権力者の判断が誤れば,先の「昭和16年夏の敗戦」のような結果ともなりかねません。

アメリカもイラクからは撤兵中ですが,アフガンでは治安維持部隊による小規模戦闘はなお継続しており,兵士の被害もどれほどになるのか見当もつかない現状があります。そうであれば,同じことを日本がすべきか,どこまでやるのか,ということを国民的に議論し,民主的にコントロールすることこそが求められると思います。その際に,民主的コントロールを形骸化させることのないよう立憲主義的な観点に立った実効性ある権力拘束を機能させる必要があります。その前提は民主制が健全に機能することであり,主権者としての参加意識のある国民による政治の実現であると確信します。(注4)

最後になりますが,私が千代田区委員会委員長時代に行った事業のタイトルは「国民主権と国のかたち」(注5)でした。なぜこのタイトルで安全保障を語ることになるのかは,上記に語り尽くしたつもりでありますが,安全保障の本質課題は,軍事バランスの分析ばかりにあるのではなく(この点も重要ですが),むしろ実は民主制,そしてその担い手である国民の意識の中にこそあると思っています。改憲を恐れる方は,きっとこの国が正面から軍隊を持って,集団的自衛権の行使を容認する状況となったら,歯止めなき戦争の時代になってしまうことを懸念しておられることと思います。そうした方に安心感を持って頂くには,国民的な議論こそが重要であるということを改めて強調して締めくくりにしたいと思います。



(注1)
もし,このシミュレーションの時点で,我が国において国家権力が軍部によって掌握されておらず,むしろ民主制が健全に機能していたら,そして国会審議で対米開戦の是非について慎重な審議が行われていたら,きっと結論は違っていたことでしょう。いや,翻って,さらに1年遡り,日独伊三国同盟を締結するに当たって,こうしたシミュレーションを踏まえた政治判断があったとしたら,日本は全く違う道を歩むことができたことでしょう(この点,先日極東軍事裁判A級戦犯からの聴き取りの存在が明らかになったと報じられた件で,三国同盟を推進した大島浩駐独大使が,ドイツの戦力を過大評価したことを認めていた点は,併せて大変興味深いところです)。

(注2)
この仕組みは,選挙時点の民意だけではなく,政策課題それぞれにおいて,問題の本質を理解した上での市民の真意を探ろうとするものであり,その意味で民主制の実効化のための制度と理解しますが,これが現在の日本にどれだけ浸透するかは,翻って考えれば民主制不審の視点が国民によってどれだけ明確に認識されるかによるように思えます。

(注3)
私は立憲主義的観点から,解釈変更による容認はあってはならないと考えます。

(注4)
徴兵制の是非は置くとして,国民の参加意識醸成にそれが役立つ可能性はあるでしょう。自分自身や家族が戦地に派遣されるとなれば,我が事として戦争の是非を議論することになるはずだからです。なお,批判の多い裁判員制度も,司法の民主化のあり方として望ましいかは別にして,国民の国政への参加意識を醸成するには一役買うことになることと思います。

(注5)
 この時の議論の結論においても,改憲後の課題として主権者国民の参加型社会の実現というキーワードが挙げられていました。改憲に向けた課題を採り上げたこの事業の詳細は,こちらをご覧下さい。


弁護士 田島正広

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「靖國神社への閣僚参拝見送り」を考える

昨日8月15日の終戦記念日は,靖國神社(靖国神社)への政治家の参拝が注目される日でした。それぞれ立場があり,議論がかみ合うはずもないのですが,私なりにこの問題についての視点と争点を整理してみたいと思います。

1 戦没者哀悼の視点
靖國神社は明治以来戦没者を始めとして,国家のために命を落とされた方を祀る神社であって,その哀悼のために参拝するべきであるとの考え方。特に,日中戦争,太平洋戦争の戦没者のご遺族においては,我がこととしてこのことを感じておられることでしょう。国家総動員体制で戦争を遂行する際に靖國神社が重要な役割を果たしたことは否定しがたい事実ですが,反面国家のために戦死を余儀なくされた方や遺族の多くにおいては,靖國神社への合祀による当時の顕彰的意義や現代における哀悼的な意義は重要な意味を持っていることでしょう(もとより,合祀に批判的な遺族の存在を軽視するものではありませんが)。

2 A級戦犯合祀に伴う戦争賛美との批判的視点
 極東軍事裁判(東京裁判)では,A級戦犯7名が絞首刑となり,また7名が獄中死し(又はその扱いとなり)ましたが,1978年(昭和53年)に昭和殉難者としてこの14名が合祀されました。その後,中国,韓国等から,靖國神社への参拝は戦争指導者賛美,ひいては戦争賛美に通じるものとの批判を受けるに至っています。政治判断としての参拝の是非論は,多くの場合外交的配慮に関するこの視点を意識したものです。

3 政教分離原則,信教の自由を侵害するとの批判的視点
 公式行事としての参拝が宗教法人である靖國神社の活動を助長するとの観点から政教分離原則違反との批判がなされています。また,自衛官合祀訴訟に見られるように,本人や遺族の意によらない合祀が,信教の自由を侵害するものであるとの批判がなされています。

 この問題は,国家と宗教の関わり方や,過去の戦争は民主的な見地から果たして十分克服されているのか等,周辺領域との密接な接点を持つものです。明日以降に私なりの視点を述べたいと思います。

弁護士 田島正広

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