弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

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検察審査会のあるべき姿とは!?

民主、検察審見直しで圧力?…議連発足

【 小沢一郎・民主党幹事長(67)の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件で、小沢氏を「起訴相当」と議決した検察審査会について、民主党を中心にした議員連盟が「国民感情に司法が揺さぶられている」と疑問を呈し、検察審査会制度の見直しを求めている。】(30日・読売新聞)



検察審査会の小沢幹事長起訴相当議決が契機となって,国会内で検察審査会制度の見直しの機運が高まっているとのこと。この点,被疑者の起訴に関する決定権限を有する検察庁は,人事上民意から隔絶された機関であることから,その起訴・不起訴の決定が時に独善的となり,民意からかけ離れたものとなってしまうことが懸念される結果,その是正手段を民意に求める趣旨です。検察審査会の議決に加われるのは無作為に抽出された少数の有権者ということになり,そこに特段の専門性は求められていません(逆に弁護士など法曹界関係者は除外されています)。

司法制度における専門的な判断を専門家以外の民間人に委ねるという点では,裁判員制度と同様,素人にどこまで判断ができるのかという点での危惧感が示されることにもなるでしょう。また,選挙で選ばれた政治家の政治生命を絶つことにもなりかねない起訴相当議決を,何ら選挙を経ず国民を代表しない一部の有権者が行うことには,それ自体非民主的との批判もあることと思います。

ですが,仮に国民投票で検察官の判断を覆せるとした場合には,国民的な人気や世論操作が起訴・不起訴の判断に影響する結果,適正な司法権の行使に重大な懸念を伴うことにもなりかねません。直接かつ過度の民意の反映がかえって好ましくない分野といえると思います。この観点から現行制度を見るとき,無作為抽出による選出によって不偏性を担保し,密室での議決によって民意の過度の反映を避けつつも,普通の市民の普通の感覚を起訴の判断に反映しようとする点,そして起訴強制のためには2度の議決を要するものとして慎重な判断を求めている点で,一応の合理性を有するように思いますが,皆さんはいかがお考えでしょうか。

この点,より一層の専門性を期待する声もあると思います。なるほど,専門的な判断を別の専門家に委ねることは専門性の担保の観点からは重要な意味を持ち得ます。しかし,誰をその地位に据えるかについて,公平性の担保がない限り,かえって起訴・不起訴の判断に政治権力の介入の虞を否定できないように思います。ここが最も難しいところではないでしょうか。その辺,好むと好まざるとにかかわらず,裁判官や弁護士から無作為抽出して選ばれた委員に専門意見を期待しつつ,人数構成上一般有権者の意見が反映できるように工夫するという方法もあるかも知れません。その場合は,名簿作成・管理段階での公平性担保手段が問われるように思います。

なお,起訴強制となっても,それはこれから刑事裁判が始まるというに過ぎません。被告人は本来無罪推定ですから。起訴議決をもって政治的圧力をかけようとすることは,むしろその政治的道義的責任の問題です。無実を主張するならそれを国民に訴えかければよい訳ですし,お騒がせして申し訳なかったというのであれば,その次元での対応がありうることでしょう。



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ある動物愛護団体の活動に観る「倫理」と「法令遵守」

先日,テレビである動物愛護団体の活動が紹介されていました。その際,その中心的な活動家の方のコメントが印象的だったので紹介します。
「自分達は,自身の倫理観にのみ従い,動物虐待を許すような悪法には従わない。」と。

「悪法」が「法の支配」の下で許容されるのかは,「法の支配」の理念型が正義の法に基づくものと説明されるだけに議論の余地があるのでしょうが,ここではそこは置いて,「自身の倫理観にのみ従う」というくだりに着目したいと思います。

鯨やイルカ,馬を食べる行為は残虐な行為であるという倫理観は,それらを食することのない文化の下でよく育まれるものでしょう。そうした倫理観を持つ方も,家畜としての牛や豚,さらには野山の鴨やウサギを食することまで禁止すべきと言うかと言えば,そうではないようです(もちろん,その取り扱い上の残虐行為の問題はあります)。結局それは自身の文化のみをよりどころとする倫理の押しつけでしかないのではないか。こう考えたときに,そこに一神教の影響を感じるのは私だけでしょうか。すなわち,多神教と違い,一神教は他の神々を受け入れる余地がありません。相互尊重の余地はあるでしょうが,原理主義的になればなるほど,それは相手の価値観を無視することになるのです。

もとより,動物愛護には諸々の要素があります。前述の文化論の他に,絶対数量の減少を理由とする種の保存の必要性や食の連鎖のバランスの維持,ひいてはその捕獲から市場流通に至る社会経済活動の健全な保護育成などです。倫理観への批判をもって,これらの諸要素を無視しようとする趣旨では決してないのですが,倫理観を言うのであれば,同じ人間として相手の倫理観にも響く論でなければならないし,法を悪法と断ずるからには,相手国の文化・道徳への配慮もなければならないと思います。ましてや,当該国家における法を無視するからには,当該国における民主制の機能状況や国民意識,法改正の可能性にも配慮すべきでしょう。これらを無視して倫理を振り回すことになれば,それはもはや正統政府とその法体系そのものとの暴力的な対決,すなわちテロリズムでしかないと私は思います。

余談ですが,前記の活動家の言葉と真に近い言葉を,ある名誉毀損事件の被告である某出版社が主張していました。北朝鮮のような非民主的国家ならばまだしも,この日本にあって何をか言わんやとの思いでした。報道は第四の権力とも評されるほどの影響力を持つからこそ,その権力におごることなく適正な報道に努めなければならないのに,書きたいように書くのが当然,その何が悪いと言わんばかりの態度には,真に腹立たしいものを感じる次第です。

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市ヶ谷濠にて詠める歌一首

椋鳥の脇目も振らずついばめば揺れる小枝の花ぞこぼれる @市ヶ谷濠

昨日の歌にコメントも頂けたことですし(服部さん,ありがとうございます!),その気になってもう一首詠んでみました。

下の句の「揺れる」は「揺らす」にしようか迷いました。「揺れる」の方が一歩退いて見ている感じで,響きも美しいように思いこれにしてみましたが,どうでしょう?コメントを頂いた服部さん,ご意見は?

PS.この短歌は,ブログテーマの立憲主義とどう関係するんですかね~とのご質問があるとしたら,「国のありようは歴史,伝統,文化なくして語ることはできず,国を大切に思い,国民の生命・身体・財産を守り,ひいて国民の文化を守るためには,政治権力に枠をはめてコントロールする必要がある。その際,文化への理解は立憲主義確立への重要な動機となる」,とでも言ったらよいでしょうか(笑)。実際,この国の全てに興味がなくなって海外移住されるような方にとっては,この国の政治がどうなろうと構わないかも知れませんから。
まあ,難しいことばかり言わずに柔らかく言い換えれば,立憲主義を説くには伝統文化にも興味をもった方がいいということですかね~(笑)。詠んだ歌が上手いか下手かは別にして(苦笑)。

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桜花に寄せて

先日昼間の予定の合間を縫って,千鳥ヶ淵公園で一人お弁当を食べながらつかの間のお花見気分を味わいました。その時の思いつきの一首をツイッターに載せたのですが,思いつきだけにどうもしっくり来ません。今日の昼,改めて桜を眺めながら,推敲した歌をご紹介しようと思います。

ひらひらとひとひらの花舞い降りて 吾が食膳の華となるらし @千鳥ヶ淵公園

この歌に込めた私の思い:一人千鳥ヶ淵公園でできあえの弁当を食しながらお花見をしていると,周りの喧噪を忘れて,つい桜花の一つ一つを見つめてしまう。そんな中ひとひらの桜花が舞を舞うかのように降りてきて,舞い終えるや私の弁当に飛び込んで来てくれた。それはあたかも色のない弁当に華を添えてくれているかのようだったことよ。

ちなみに,私は西行法師が好きで,その昔山家集を愛読したことがあります。西行かぶれのせいか,桜にも格別の思いがあり,名所はいろいろ回ってます(笑)。

(注)上の句は,いったん「舞い終えて」で掲載しましたが,下の句へのつながりも響きもよくないので,「舞い降りて」に変えました。

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日本人死刑執行に見る日本政府の人権感覚

「残念」も中国に新たな懸念表明せず 死刑執行で政府

【 日本政府は中国当局が日本人死刑囚の刑を執行したことについて、「残念」(鳩山由紀夫首相)としながらも、中国側に新たな懸念などを表明することはなかった。
 首相は6日夕、記者団に対し、「司法制度が違う状況の中で(刑罰が)厳しすぎるという思いはあるが、このことで日中に亀裂が入らないように政府としても努力する」と述べた。】

(6日・産経新聞)

自由主義と民主主義に由来する罪刑法定主義の意味するところとしては,罪刑の均衡が挙げられます。それは各国の主権を前提にする国内法制に基づくものである限り,一見すると各国の事情に基づく均衡のようにも見えます。しかし,何故に国連が国際人権規約を定めたのでしょうか。それは人権というものは現代国際社会においては普遍性を持つべき概念であるとの前提があるからです。

中国が同規約を受け入れているかどうかとか,あるいは中国国内の人権保障が法律の下のそれでしかない,などという相手国の事情は,我が国の主権と国民の保護の観点からはどうでもよいことです。我が国は近代人権国家なのですから,近代刑法の大原則である罪刑の均衡を主張すればよいだけのことです。薬物の営利目的所持等が死刑に相当する犯罪ではないという国際社会の常識を主張すればよいだけのことです。相手国の国内事情に配慮して,国民が不当に死刑になっても本気でものを言わないというのは,人権国家の政府のありようなのでしょうか。私は大いに疑問を持っています。

思えば,安政の不平等条約において,日本は列強から治外法権を押しつけられました。日本で外国人が犯罪を犯しても,日本の裁判所では裁けない訳です。それは日本に近代的な裁判システムがないことが理由だったはずです。それなら,人権保障がなく,罪刑の均衡もない刑法を持ち,密室司法で裁判の公平・公正の担保もない国は,同様のことが言えるのではないでしょうか。もちろん,現代において治外法権など求める訳もありませんが,少なくとも人権国家日本の政府としては,超法規的手法によってでも国民を保護すべきであったし,それがかなわなかったのであれば,よほど真剣に抗議するのが筋というものです。

今回の死刑執行は,毒入り餃子事件の犯人検挙と実にタイミングがよかったですね。中国が毒入り餃子事件で大国としてのメンツを失い,日本にひれ伏すような印象を与えることのないよう,バーターで執行されたように思えてなりません。そうであればあるほど,外交大国を目指して,日本は言うべきことを言うべきではなかったのでしょうか。未だNOと言える日本になっていないとの印象をぬぐい去ることができません。


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若林正俊元農相議員辞職問題

自民・若林参院議員が辞職=偽装投票で引責-計10回、「魔が差した」

新人議員ならまだしも,元農相という大物議員の軽はずみかつ重大な不祥事だけに,真に遺憾です(イカンです!)。学生の代返のノリだったのでしょうか。これで通るなら,議場に来ない議員が続出する訳ですから,およそあり得ないことです。既に議員辞職されていますが,これで幕引きとするには違和感がなくはありません。隣席の青木議員からの依頼がなかったのかどうかについて,調査を尽くす必要があるのではないでしょうか。そのためにも参考人として若林氏を国会で喚問すべきように思います。本人に対するペナルティの趣旨も込めて。
国会議員の職責の重みを一瞬でも軽んじてしまうことのないように,現役議員の先生方には戒めとして頂きたいものです。

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