
以前,このブログでも,グーグル・ストリートビュー・サービスを採り上げたことがありますが,このサービスに対しては便利さを歓迎する声がある一方で批判も根強く,改めて採り上げてみたいと思います。
個人のプライバシー保護に向けた期待という点では,個人の居宅内と居宅外とでは違いがあることでしょう。公衆の面前にさらされている居宅外の庭先や車庫,公道隣接部分の景色につき,一切の写真撮影を禁止させる程までにプライバシー権の保護が広く及んでいるかについては,伝統的なプライバシー権概念に立って,プライバシー保護を非公開の秘密に限定する理解からは相当程度難しいことになるでしょう。
しかしながら,同じ庭先の光景であっても,近隣住民が直接往来の際に目にする場合と,それがインターネットというツールを介して広く不特定多数人に公開されている場合とでは,プライバシー権への脅威の程度として格段の差異があるように思います。後者の場合,プライバシー権そのものへの侵害とはいえないまでも,何らかの配慮が必要なプライバシーの外延部分とでもいうべき領域への脅威にはなっているのではないでしょうか。
ましてや,プライバシー権の本質を,自己情報コントロール権として捉えるのであれば,自己に関する情報がどの範囲で閲覧に供されているかを自身がコントロールできるかどうかは,プライバシー保護において重要な要素というべきでしょう。近隣住民に見えていることをもって広くネット公開まで受け入れなければならないという結論に至るのは,行き過ぎの印象が拭いきれません(場面は少々異なりますが,個人情報の分野でも,ある個人情報取扱事業者に個人情報を提供したところで,特段の合意でもない限りは広く第三者への提供を全面的に同意したことにはなりません)。
この点,対処の方向性を考える上で参考になる例を一つ挙げましょう。紙媒体の官報には破産者の氏名・住所が掲載されますが,官報のネット公開に当たっては,破産者の事項は削除され,ネット上では検索できないように配慮されています。これは,直ちにプライバシー権の保護が及んでいると見ることができないにしても,紙媒体の官報購入者をはるかに上回ることが想定される不特定多数人の閲覧にさらすに当たって,プライバシーの観点から何らかの配慮が必要との認識があるからと思われます。ストリートビューの問題も,これと平仄を揃えて考えることができるように思えます。
確かに,ストリートビューのお陰で,行ったことのない場所にスムーズに行ける,あるいは写真で確認できるという利便性はあります。しかし,その利便性を商業地のみならず住宅地域まで広げなければならないほど,社会のニーズが存在するのでしょうか。しかもその際には,個人のプライバシーの利益が相当程度脅威にさらされることにもなる訳です。グーグル側では,個人の氏名や肖像が写っている写真については削除に応じているようですが,プライバシーへの配慮という点では,そのような例外的な場面での削除だけではなく,住宅地域に関してサービスのあり方そのものを見直す必要があるのではないかと思う次第です。
情報化社会をリードするグーグルの発想としては,社会の隅々まで電子情報化することが,社会公共の利益に資するとの判断なのではないかと推測しておりますが,デジタル情報だけでは得られないアナログ情報の良さも忘れてはならないように思います。いや,あえてアナログで存在させるべき領域が存在するといったらよいでしょうか。これは,インテリジェンス(諜報)の世界で,エリント(電子諜報)だけでは得られない情報を得るためにヒューミント(人的諜報)が必要なことと通じるような気がしています。全てをデジタル化しようという発想には,あたかもエリントの勝利とでも言わんばかりの意味合いを感じます。そこでは,個人の存在を情報面で徹底解析する結果となるでしょうが,しかし,どこまでの情報集積を容認することが個人にとって住みよい社会を実現することになるのか,改めて慎重に検証すべきように思います。
弁護士 田島正広
○関連リンク
田島総合法律事務所
フェアリンクスコンサルティング株式会社
パンダ君のコンプラ
個人のプライバシー保護に向けた期待という点では,個人の居宅内と居宅外とでは違いがあることでしょう。公衆の面前にさらされている居宅外の庭先や車庫,公道隣接部分の景色につき,一切の写真撮影を禁止させる程までにプライバシー権の保護が広く及んでいるかについては,伝統的なプライバシー権概念に立って,プライバシー保護を非公開の秘密に限定する理解からは相当程度難しいことになるでしょう。
しかしながら,同じ庭先の光景であっても,近隣住民が直接往来の際に目にする場合と,それがインターネットというツールを介して広く不特定多数人に公開されている場合とでは,プライバシー権への脅威の程度として格段の差異があるように思います。後者の場合,プライバシー権そのものへの侵害とはいえないまでも,何らかの配慮が必要なプライバシーの外延部分とでもいうべき領域への脅威にはなっているのではないでしょうか。
ましてや,プライバシー権の本質を,自己情報コントロール権として捉えるのであれば,自己に関する情報がどの範囲で閲覧に供されているかを自身がコントロールできるかどうかは,プライバシー保護において重要な要素というべきでしょう。近隣住民に見えていることをもって広くネット公開まで受け入れなければならないという結論に至るのは,行き過ぎの印象が拭いきれません(場面は少々異なりますが,個人情報の分野でも,ある個人情報取扱事業者に個人情報を提供したところで,特段の合意でもない限りは広く第三者への提供を全面的に同意したことにはなりません)。
この点,対処の方向性を考える上で参考になる例を一つ挙げましょう。紙媒体の官報には破産者の氏名・住所が掲載されますが,官報のネット公開に当たっては,破産者の事項は削除され,ネット上では検索できないように配慮されています。これは,直ちにプライバシー権の保護が及んでいると見ることができないにしても,紙媒体の官報購入者をはるかに上回ることが想定される不特定多数人の閲覧にさらすに当たって,プライバシーの観点から何らかの配慮が必要との認識があるからと思われます。ストリートビューの問題も,これと平仄を揃えて考えることができるように思えます。
確かに,ストリートビューのお陰で,行ったことのない場所にスムーズに行ける,あるいは写真で確認できるという利便性はあります。しかし,その利便性を商業地のみならず住宅地域まで広げなければならないほど,社会のニーズが存在するのでしょうか。しかもその際には,個人のプライバシーの利益が相当程度脅威にさらされることにもなる訳です。グーグル側では,個人の氏名や肖像が写っている写真については削除に応じているようですが,プライバシーへの配慮という点では,そのような例外的な場面での削除だけではなく,住宅地域に関してサービスのあり方そのものを見直す必要があるのではないかと思う次第です。
情報化社会をリードするグーグルの発想としては,社会の隅々まで電子情報化することが,社会公共の利益に資するとの判断なのではないかと推測しておりますが,デジタル情報だけでは得られないアナログ情報の良さも忘れてはならないように思います。いや,あえてアナログで存在させるべき領域が存在するといったらよいでしょうか。これは,インテリジェンス(諜報)の世界で,エリント(電子諜報)だけでは得られない情報を得るためにヒューミント(人的諜報)が必要なことと通じるような気がしています。全てをデジタル化しようという発想には,あたかもエリントの勝利とでも言わんばかりの意味合いを感じます。そこでは,個人の存在を情報面で徹底解析する結果となるでしょうが,しかし,どこまでの情報集積を容認することが個人にとって住みよい社会を実現することになるのか,改めて慎重に検証すべきように思います。
弁護士 田島正広
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