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弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

ビジネスインテリジェンスと法務

インテリジェンスには,知性の意味の他に,国際間の諜報の意味がありますが,ここでは,ビジネス面での諜報としてのインテリジェンス,すなわち,ビジネス・インテリジェンスを念頭において,法務との関わりを考えてみたいと思います。

インテリジェンスには情報を収集する場面での積極諜報,及び他国による情報収集への防止・制御策としての防諜(いわゆるカウンター・インテリジェンス)が考えられますが,その理はビジネス・インテリジェンスにおいても同様であるべきでしょう。ビジネス・インテリジェンスにおいて求められることは,法令遵守を大前提としつつ的確な積極諜報を行うと共に,情報の消極的な散逸や漏えい,さらには時に違法行為ともなりうる積極的な情報流出工作をよりよく阻止することと筆者は考えています。ビジネス・インテリジェンスの分野では,特にカウンター・インテリジェンスに力点を置いて語られることが多いように散見されますが,それは現代情報化社会における情報の重要性の増大と,これに比例して増大する情報漏えいリスクを特に意識してのことと思われます。これに対して,採り上げられることの比較的少ない積極諜報と法務の関わりの場面としては,法令や企業倫理を逸脱することなく適法に行うことのできる諜報活動はどこまでかを明確にして,企業の情報戦略として許される行為を推進する一方で,法令・倫理違反行為として許されざる諜報活動をストップさせて,コンプライアンスを適切に維持することです。この視点に立って,次回以降暫しビジネス・インテリジェンスを考えてみたいと思います。
(続く)

弁護士 田島正広

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ネット上の名誉毀損新判断に観るネット観

以前,このブログで,ラーメンチェーン店運営会社に対するネット上の名誉毀損事件に関する無罪判決(東京地判平成20年2月29日)を紹介しましたが,先日情報関連をご専門にされる,ある学者の先生とお話しした際に,この事件との関わりを思い当たることがあったので,ご紹介しておこうと思います。

その先生によれば,ネット上の情報の受け止め方は世代毎にかなり特徴があるとのこと。30~40代以上の世代にとっては,主たる情報源は新聞や書籍であり,ネットは補助的に活用するツールに過ぎないのが一般的ですが,若い世代においては,この位置づけは総体的に逆転するとのことです。特に20代前半の学生や社会人ともなると,収入的に厳しい状況にあることもあって,テレビを持たず新聞も買わず,ニュースはネットで確認する方が多いそうです。ネットこそが主たる情報源となっているわけです(もちろん,あくまで一般的傾向の話です)。そういえばネットに精通した20代の知人が,ニュースを2ちゃんねるの新着情報で観ると言っていましたが,これもその一例でしょうか。また,ネット関連ビジネスを展開するある学生がレポートを見てほしいと持ってきたときに,出典に文責不在のウィキペディアが挙げられていて驚いたのですが,これもネット上の情報それ自体への信頼の高さがベースになっているが故のことかも知れません。

上の世代の方にとっては,ネット上の情報はうさん臭いのが前提で,トイレの落書き程度の位置付けでしかないため,先の裁判例に判示されたように,ネット上の情報が信用性に欠けることをもって,ネットに投稿した記事の名誉毀損性を重くは評価しないことになりやすいのではないかと推測します。上記裁判例は,ネット上では,(被害者側に誘発的な言動があった場合においてではあるものの)通常の場面で要求されるような十分な調査を尽くさずとも,ネットの個人利用者として要求される程度の調査を行えば名誉毀損とはならないと判示していますが,信用性に欠けるという基本認識に立てば,ある意味当然の帰結かもしれません。

しかしながら,若い世代の多くの方にとっては,ネットが重要な情報源であり,その信頼性の吟味の前にまずその情報を無批判で受け止める可能性がないとはいえないように思えます。そうなると,上記裁判例のように,「ネット上の情報だから」という理由で調査義務を緩和するような発想に立つことは,限りなく名誉権の保護を後退させることになりかねないように思えます。

この問題は,ネットリテラシー自体の問題として捉えなければならないことは当然なのですが,世代毎に観てもネット上の情報の捉え方に特徴が観て取れるような状況であるというのであれば,裁判においてもそれを前提とした判断がなされなければならないというべきでしょう。裁判官の感覚が必ずしも国民一般と同じではないことを理解していただきたいところです。アンバランスなネット観によって社会が混乱することのないように期待しています。

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「名ばかり管理職」の指導強化=チェーン店の判断基準を通達-厚労省

「名ばかり管理職」指導強化 厚労省が店長らの判断基準


【 職務権限や待遇が不十分なのに管理監督者とみなされ、長時間働いても残業代が出ない「名ばかり管理職」の問題で、厚生労働省は9日、チェーン展開する飲食・小売業の店長らを対象に、管理監督者にあたるかどうかの具体的な判断基準を示す通達を全国の労働局に出した。個別の業種・業態について詳しい基準を示すのは銀行以来31年ぶりで、特に指導を強化することが狙いだ。】

(9日朝日新聞)

 「名ばかり管理職」の問題,すなわち,管理職の実態がないのに管理職扱いして,残業手当の支払を免れることなどが問題となるケースは近時頻発しています。マクドナルドやコナカの事件は記憶に新しいところですが,近時の裁判例は,社員が管理職(正確には,労働時間・休憩・休日の規定が適用されないところの,「監督若しくは管理の地位にある者」(労基法41条))として扱われるための要件として,(ア)経営方針の決定に参画し,あるいは労務管理上の指揮監督権を有するなど,その実態から見て経営者と一体的な立場にあること,(イ)出退勤について厳格な規制を受けず,自己の勤務時間について自由裁量権を有すること(以上,静岡銀行事件における静岡地判昭和53年3月28日),(ウ)非管理職社員との賃金格差(以上,マクドナルド事件に関する東京地判平成20年1月28日)などの諸要素を考慮しています。

 すなわち,管理職として認定される場合とは,(ア) 本社での経営会議に恒常的に出席しているか,あるいは支店レベルで広範な人事管理権が与えられているなどして,会社の経営自体に参画していると評価できる実態があり, (イ) 自身の出退勤管理も自ら行っていて,本社の指揮監督を受けていない場合であって,さらに(ウ)非管理職社員との賃金格差も相当程度の開きがあるような場合と解されている訳です(前掲マクドナルド事件判決)。

 報道によれば,今回の通達では,「管理監督者性を否定する重要な要素」,「否定する補強要素」として,具体例を次の通り列挙しています。

 (1)職務内容や権限では、重要な要素として「パートやアルバイトなどの採用権限がない」や「パートらに残業を命じる権限がない」こと。

 (2)勤務時間では、重要な要素で「遅刻や早退をした場合に減給などの制裁がある」こと。補強要素で「長時間労働を余儀なくされるなど,実際には労働時間の裁量がほとんどない」こと。

 (3)賃金は,重要な要素として「時間あたりの賃金がパートらを下回る」こと,補強要素として「役職手当などが不十分なこと」など。

 これらは,先の裁判例が示した基準にも相応するものであり,基準自体もいうようにこれらの事情を総合判断することになります。「名ばかり管理職」の是正は,労働基準法の潜脱防止による適正な雇用関係の確立の場面であり,企業にとってはまさにコンプライアンスが試される場面といえます。現代は,コンプライアンスを失した企業が容易に市場からレッドカードを受ける時代です。すなわち,遵法経営こそが効率経営をよりよく達成する手段であり,株式価値の最大化のためにはコンプライアンスの達成が不可欠といえます。企業経営に携わる方々には,この点をぜひご理解頂きたいものです。

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「『昭和』を点検する」(保阪正康+半藤一利)

「『昭和』を点検する」(保阪正康+半藤一利)

最近,「『昭和』を点検する」(保阪正康+半藤一利)を読みました。昭和史,特に戦前,戦中については権威ともいうべきお二人の対談を書籍化したもので,お二人の歴史観がそのまま著されています。「世界の大勢」,「この際だから」,「ウチはウチ」,「それはお前の仕事だろう」,「しかたなかった」という対談主催者側の用意したキーワードをベースに対談が展開します。このキーワードを見ただけでも内容は想像がつくことと思いますが,戦前・戦中の日本において,情報収集・分析力が不十分であり,情報に的確に依拠した戦略論が存在せず,さらには建設的な議論も封殺されて,甚だ狭い視野に立った主観的な戦略展開しかなされなかったことや,官僚組織の省益優先の態度と責任のなすりつけの傾向,さらには結果に対する無責任な体制のありさまなどが,よく紹介されています。

以前,防衛大学校の戸部良一教授をはじめとする著者陣による「失敗の本質」を読んだことがありますが,旧日本陸海軍の失敗した諸作戦の考察から結論付けられる失敗の原因や旧日本軍の体質と,本書の論調はよく通じるところであり,最後は悲惨な結末を迎えることになる昭和史前半の流れを振り返るとき,空しさがあふれてきます。

ところで,歴史を学ぶことは,現代をひもとくためにこそ有用というものです。果たして上記キーワードは現代日本において十分に克服されているといえるのでしょうか?例えば,自衛隊のイラク派遣を始めとするテロ特措法恒久法化の議論などを観ていると,アメリカの積極的な軍事展開は「世界の大勢」と強調されていなかったでしょうか?また,日米同盟を主軸とする日米関係を維持していくためには「この際しかたがない」との論理はなかったでしょうか?

あるいは,縦割りの下,省益優先の官僚組織の弊害はつとに指摘されるところですが,そうした官僚組織の自己保身の中で「ウチはウチ」,「それはお前の仕事だろう」といった言葉は未だに聞かれる言葉ではないでしょうか?

これらのキーワードが十分克服されていないとなれば,それはまたもや同じ失敗を繰り返すリスクが存在することを意味することにもなるでしょう。真に空しい気分に陥るばかりです。

弁護士 田島正広

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