弁護士田島正広の“立憲派”ブログ

田島正広弁護士が、注目裁判例や立法動向、事件などを取り上げ、法の支配に基づく公正な自由競争社会の実現を目指す実務法曹としての視点から解説します。

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鳩山法相の「死に神」報道と死刑廃止論

鳩山法相、「死に神」報道に反論

鳩山法相の下,死刑執行が相次いでいる点が注目されています。

本日は,先日に続いて,死刑廃止論についての私見を申し上げたいと思います。

結論的には,私は死刑廃止派です。死刑廃止の条件として一般に取りざたされる終身刑の導入については,運用上個別恩赦の余地が残されていることを前提として,その先行実施には賛成します(この結論は,尊敬する刑法学者の団藤重光先生の結論とほぼ同旨です)。この点,個別恩赦での出所後の社会復帰の可能性には疑問がないではなく,この枠組みが万全のものとは確信できないのですが,生命という究極の価値を否定する死刑の廃止という大義の実現を優先するためには,ベターな選択肢ではないかと考えます。以下,理由を述べます。

人間の生命を否定する刑罰が,その実施方法の如何を問わず「残虐」な刑罰であることは,人間の尊厳を至高の理念として掲げる自由主義憲法の下では,当然のことと確信します。平和憲法の下,人間の生命を奪う戦争を許さない基本理念に立ちながら,犯罪に対する刑罰としての死刑なら許容されるというのは,国家のあり方として既に矛盾していると思います。犯罪に対する刑罰としてなら生命を奪うことも許されるというのであれば,侵略に対する制裁としての軍事行動が許されない現状には,むしろ違和感さえ覚えるところです。

死刑を廃止すれば,重大犯罪が増大する虞があるとの指摘については,そもそもそのような統計的なデータが検証されている訳ではありませんし,効果が検証されていないのであれば,そもそもそのような刑罰を導入・維持すべきではないというのが本筋というものでしょう。

被害者・遺族の処罰感情には,もちろん最大限の配慮をしなければなりません。殺害されたご本人や自分の愛すべき家族が奪われたご遺族の心中を察するに,論評すること自体はばかられることすらあります。しかし,それらの方々への配慮は,死刑による報復という形でしか実現できないものでしょうか。例えば,国や地域社会において,失われた生命を悼み,遺族の方々を慰撫するような配慮をいかに実現できるかもまた,重要ではないでしょうか。被害者遺族の手記で,死刑囚との対話の際に謝罪の言葉を直接受けて安堵感を得ることができたと述べられた方もいらっしゃいます(現代思想2004年3月号原田正治氏「弟を殺した加害者と僕」)。最後まで反省の弁を述べることなく死刑になった死刑囚もいることと思いますが,死刑囚の拘留は更生を前提としないものであり(だからこそ刑務所ではなく拘置所に身柄を置かれます),反省に向けたプログラムを前提としていません。むしろ重大犯罪の犯人であればこそ,いかに反省させ,悔悟の日々を送らせるように導くかが,刑事司法の任務なのではないでしょうか。

死刑が執行されてしまえば,その後にえん罪と判明しても,生命は取り戻せません。もちろん長期の拘留による失われた日々もまた取り戻すことはできませんが,生命の価値の重さを思えば,いかなる誤判によっても生命が失われないという結論は極めて重いものだと思います。裁判員制度の下,裁判員の全員一致の場合にのみ死刑の言い渡しが可能な立法案も注目されています。しかし,裁判員がどれだけ世論や他の裁判員や裁判官の意見に流されずに判断を下せるのかについては,未だ想像の域を出ません。

再犯防止の観点に立っても,終身刑の導入によって,その趣旨はよく達成されることでしょう。この点,二度と社会に復帰できない刑罰はそれ自体「残虐」であるとの批判があります。しかし,死刑囚にとって最も酷なのは,いつ死刑に処せられるかの不安であるとの指摘もあり,決して処刑されることのない安堵感がある終身刑を「残虐」というべきかは議論の余地が大きいところです。少なくとも終身刑の「残虐」性は,死刑のそれと比較してその程度において決定的な差異があるのではないでしょうか。

この点,仮に個別恩赦の余地があるとしても,長期の刑務所生活がいわゆるムショぼけを生じ,社会生活には戻れないような人格を形成してしまうとの批判があります。いかに反省と悔悟の日々を送ったとしても,社会復帰にはじまないような人格を形成することが,更生という観点からどれだけの意味を持つかについては,確かに疑問が残ります。それ故にこそ,私は終身刑+個別恩赦という枠組みの対応において確信を抱けないのです。しかしながら,死刑の廃止という大義の前に,手段的に終身刑を検討することは,やむを得ない判断なのではないかと思料するところです。

皆さんご存じの通り,EU諸国を中心に先進国のほとんど全てにおいて既に死刑が廃止されています。逃亡犯罪者の引き渡しに際しても,死刑に処せられることのない保障を死刑廃止国側から求められる事態が生じたことが現にあります。そうした際,三権分立の制度下では,政府は個別裁判の結果について何らの保障ができないわけですから,後は死刑自体を廃止する(少なくとも段階的にまずその執行を停止する)という手段を取るほかないことになるでしょう。そうしなければ,国内から逃亡した犯罪者を国内で処罰すること自体が困難となり,結果として我が国の秩序の維持を困難ならしめると共に,被害者・遺族を始めとする国民の当然の処罰感情への配慮もできないところとなってしまう虞があります。グローバリゼーションの下,そのようなリスクは高まる一方であることを軽視してはならないと思います。

戦争についてもいえることですが,復讐の視点に立って物事を考えてみても,悲劇の繰り返しになって人々の心が癒されることにはならないことでしょう。重大事犯の犯人だからこそ,より深い反省と悔悟の日々を送らせるように導く必要があると思います。私は死刑は速やかに廃止すべきと考えます。


弁護士 田島正広

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死刑廃止論の是非

昨日,幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚に対する死刑が執行されました。

宮崎死刑囚 刑執行 20年前の衝撃、今も あきる野(18日読売新聞)

改めて被害者の方々のご冥福をお祈りします。
この事件についての言及はおくとして,今日は「死刑」という点に関して,死刑廃止論の是非を考えてみたいと思います。

この問題を考える上で,論者の多くの方々の述べる論拠をざっと挙げてみましょう。


(1) 【死刑を廃止すべきとの立場】

(憲法上の根拠) 死刑は,憲法36条が禁止する残虐な刑罰に当たる。
(応報の側面) 被害感情には配慮するべきであるが,応報だけでそれが十分果たされる訳ではない。犯罪被害者保護制度の拡充も重要である。
(一般予防の側面) 死刑を廃止した国や州(米国)において,重大犯罪が増加した事実はない。
(再犯防止の側面) 終身刑の導入など,出所後の再犯防止手段は別途考えられる。
(裁判手続上の危惧) 裁判には誤判の虞があり,事後的に誤判と判明した場合,死刑は取り返しがつかない。
(比較法学的考察) EU諸国を中心に先進諸国では死刑はほぼ廃止されている。
(犯罪人引き渡し上の困難) 死刑制度を有する国に対する死刑廃止国からの犯罪人引き渡しが,拷問の禁止などをうたう欧州人権条約3条に抵触することを理由に拒絶される事態が生じている。


(2) 【死刑を存続すべきとの立場】

(憲法上の根拠) 死刑は,憲法36条が禁止する残虐な刑罰に当たらない。
(応報の側面) 応報の観点(罪に対する罰)に立てば,殺人などの重大事件で死刑は当然である。/被害者及び遺族の報復感情に配慮すべきである。
(一般予防の側面) 死刑を廃止した国や州(米国)において,重大犯罪が増加したかどうか判然とはせず,その増加が懸念される。
(再犯防止の側面) 死刑は再犯防止に最も実効的である。
(裁判手続上の危惧) 誤判の虞は,裁判制度自体のあり方の問題である。裁判員制度では裁判官・裁判員の全員一致を死刑宣告の要件とする立法案も検討されている。
(比較法学的考察) 死刑を存置する国は世界にまだ数多く存する。各国の文化・宗教観・道徳観の相違は軽視できない。
(犯罪人引き渡し上の困難) 犯罪人引き渡しの上での支障については,各国に理解を求めるしかない。


この件に関する私見は,また後日ご紹介します。

弁護士 田島正広

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