「残念」も中国に新たな懸念表明せず 死刑執行で政府【 日本政府は中国当局が日本人死刑囚の刑を執行したことについて、「残念」(鳩山由紀夫首相)としながらも、中国側に新たな懸念などを表明することはなかった。
首相は6日夕、記者団に対し、「司法制度が違う状況の中で(刑罰が)厳しすぎるという思いはあるが、このことで日中に亀裂が入らないように政府としても努力する」と述べた。】
(6日・産経新聞)
自由主義と民主主義に由来する罪刑法定主義の意味するところとしては,罪刑の均衡が挙げられます。それは各国の主権を前提にする国内法制に基づくものである限り,一見すると各国の事情に基づく均衡のようにも見えます。しかし,何故に国連が国際人権規約を定めたのでしょうか。それは人権というものは現代国際社会においては普遍性を持つべき概念であるとの前提があるからです。
中国が同規約を受け入れているかどうかとか,あるいは中国国内の人権保障が法律の下のそれでしかない,などという相手国の事情は,我が国の主権と国民の保護の観点からはどうでもよいことです。我が国は近代人権国家なのですから,近代刑法の大原則である罪刑の均衡を主張すればよいだけのことです。薬物の営利目的所持等が死刑に相当する犯罪ではないという国際社会の常識を主張すればよいだけのことです。相手国の国内事情に配慮して,国民が不当に死刑になっても本気でものを言わないというのは,人権国家の政府のありようなのでしょうか。私は大いに疑問を持っています。
思えば,安政の不平等条約において,日本は列強から治外法権を押しつけられました。日本で外国人が犯罪を犯しても,日本の裁判所では裁けない訳です。それは日本に近代的な裁判システムがないことが理由だったはずです。それなら,人権保障がなく,罪刑の均衡もない刑法を持ち,密室司法で裁判の公平・公正の担保もない国は,同様のことが言えるのではないでしょうか。もちろん,現代において治外法権など求める訳もありませんが,少なくとも人権国家日本の政府としては,超法規的手法によってでも国民を保護すべきであったし,それがかなわなかったのであれば,よほど真剣に抗議するのが筋というものです。
今回の死刑執行は,毒入り餃子事件の犯人検挙と実にタイミングがよかったですね。中国が毒入り餃子事件で大国としてのメンツを失い,日本にひれ伏すような印象を与えることのないよう,バーターで執行されたように思えてなりません。そうであればあるほど,外交大国を目指して,日本は言うべきことを言うべきではなかったのでしょうか。未だNOと言える日本になっていないとの印象をぬぐい去ることができません。
弁護士 田島正広○関連リンク
田島総合法律事務所フェアリンクスコンサルティング株式会社パンダ君のコンプラ